大阪の土佐堀川と四橋筋の交差点。
肥後橋を自転車で走っていたら、交差点の角のビルの玄関に貼ってあるポスターに目が止まりました。
見覚えのある顔だなぁと、よく見てみると「そうだ!広岡浅子だ」
このビルは大同生命。
NHKの朝ドラを観ていた方はご存知だと思いますが、NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」のモデルだった広岡浅子さんです。
女優の波瑠さんが演じていて、元気いっぱいに前へ進んでいく姿に朝から元気をもらえる大好きなドラマでした。
大同生命のビル2階で「広岡浅子の生涯」の展示会をしているようでした。
せっかくなので、私は展示会場まで行き、広岡浅子の激動の時代を駆けた浅子の生涯の歴史をみてきました。
「あさが来た」の原案本「小説土佐堀川」は、今から27年前、昭和63年に潮出版から出版されました。
著者は古川智映子(83)さん。
ずいぶん前に書いた本が朝ドラに取り上げられて驚いたそうです。
32歳で離婚。どうやって生きていったらいいのか。呆然と生きていた時に高群逸枝の「大日本女性人名辞書」と出会う。
広岡浅子の記述はわずか14行。
この辞典は他とちがい人物紹介が物語性が帯びている事、浅子の事を調べるうちに面白い起伏の多い人生。
そのつど不死鳥のように蘇る。
古川さんはこの小説を書き上げるのに5年かかったそう。
調べ書いてるいるあいだには広岡浅子さんには元気をもらい強運をもらえるようでと語っていらっしゃいます。
本当に誰にも真似が出来ない男子も及ばぬ手腕。
少しでもあやかりたいです。
今の時代に生まれた女性は恵まれています。
浅子の時代は女のくせに学問・読書はダメ、お転婆だと叱られ自分で髪をばさりと切って、周囲を驚かせるお嬢様だった。
男勝りの性格と自分というものをしっかり持っていた。
人に左右されない性格が業を成せたんでしょうね。
広岡浅子さんは、強運の持ち主だと思います。
朝ドラで観ていたから、思い出しながら展示を見ていると、感慨深いものがありとても楽しかったです。