沖縄県国頭郡金城町に奇跡を起こす会社がある。
肘を故障しボールを投げられない少年だが、ある装具を着けると痛みは無くなりボールが投げられるようになる。
もう一人の女性は膝に痛みを抱えている膝にある装具を着けると階段を痛みもなく簡単に歩いている。
二人共、笑顔が隠しきれない喜び笑っている・・・
佐喜眞保さんはまた一人笑顔が生まれると満面の笑み・・・
2017年10月12日関西テレビ放送「奇跡体験!アンビリバボー」で放送された愛と感動のドキュメンタリーです。
「2万人を救う奇跡の装具。生みの親の壮絶半生!」
2万人以上もの人々の悩みを装具で救ってきた佐喜眞保さん。
装具がどうやって生まれたのかは彼の壮絶な半生にあった。
今から65年前1952年沖縄・宜野湾市に(ぎのわん)に生まれた。
2歳の頃、脊椎カリエスという難病にかかる。
これはケガなどによって体内に入った菌が脊髄に感染し発症する病気で重症化すると感染した箇所が変形し瘤(こぶ)ができた様になる。
当時は手術をしても変形した骨を元に戻すことはできなかった。
症状は重く成長しても背骨が曲がっているためクラスで一番、身長が低かった。
それゆえ仲間はずれにされ孤独な日々は少年から笑顔を奪っていった中学に入っても思う様に身長は伸びず不安な気持ちを理解してくれる人はなく未来に希望を失った事でグレはじめた。
高校は一学期で中退し鉄工所で働くようになった。
しかし、同僚達にも馴染めず相変わらずの孤独の日々その後、北海道の鉄工所で働くようになる彼に転機がきたある日、工場の社長からお見合いを勧められた。
容姿にコンプレックスのあった佐喜眞さんはのる気ではなかった。
お見合いの相手も足に障害を抱えていた。
可愛い女性だった。
女性は子供の頃、脳性麻痺にかかってほとんど歩けなくなった。
それが嫌で20歳の頃手術2回してリハビリもしてなんとか歩けるようになったんですとマチ子さん。
二人は交際するようになる。
佐喜眞さんは今まで一人で悩んでいたのが彼女ができた事で孤独感が無くなった。
出会いから一年後結婚。保さん(23歳)マチ子さん(29歳)
自分を理解し寄り添ってくれる人がいる存在が出来た事で保さんは変わっていった。
生まれて初めて将来への希望が生まれた。
そんなある日、屋根の工事を頼まれ梯子を登っていた時7mの高さから落下かろうじて一命取り留めたがヤス子さんの強いすすめもあって病院で診てもらう事になった。
ヤス子さんのこの強い決断が人生を大きく変える事となる。
11年前ヤス子さんの手術をした医師こそ当時、世界最先端の方法で脊椎の手術を手がける金田医師であった。
医師は脊椎がかなり悪化しているから今、手術をしないと歩けなくなると告げる。
そして手術することになる。
手術は脊椎を強制的に伸ばし固定、覚悟はしていたが想像以上の激痛2週間後手術をすることになった。
足の骨を切除して脊椎に添えつけボルトで固定する大手術だった。
1ヶ月後、背中の変形はなくくなり痛みもなく歩けるようになり脊椎カリエスは完治した。
佐喜眞さんがなにより喜んだのは身長が2cm伸びた事だと笑顔。
その後無事退院する。
妻のおかげで長年のコンプレックスから解放された。
保さんは妻に相談する義肢装具士になる事を。
義肢装具士とは
医師の処方に従い身体が不自由な人の為に装具の製作や調整を行う
これなら人の役にたてるかもしれない。
ものづくりで少しでもお医者さんのお手伝いができて患者さんの笑顔が見られたら本望だと話す。
そして福岡の職業訓練学校に通う。
それから1980年沖縄で会社を立ち上げる。
なによりも夫の事を理解してくれるマチ子さんのおかげで自分は変わる事ができた。
自分も患者さんたちの気持ちを理解し寄り添う存在になろうと考えた。
生活は苦しかった。
佐喜眞さんは患者が満足するまで何度も装具の調整を行うので効率が悪く利益が少なかった。
銀行などから借金しながらヤス子さんは頭を下げやりくりをしていた。
たとえ何も無くなっても腕はあると思っていたからお父さんの腕はあるから大丈夫だと思っていた。
やがて二人の子供にも恵まれた。
ギリギリの生活でもあったがマチ子さんに支えられ佐喜眞さんは一心不乱に働いた。
こんな自分でも人の役に立つ事ができる。それが何よりも嬉しかった。
充実した日々、しかし本当の試練が待ち受けていた。
反張膝の患者と出会う。
反張膝 足が後ろに反り返った状態
何度も何度も装具を作るがうまくいかない。一年半が経っていた。
諦めかけていたが、逃げてはだめだと思いとどまった。
試行錯誤しながらひらめいた そうか!膝に問題があるのではないかと!
これまでにも反張膝を調整する装具はあったがこの患者さんには合わなかったそれから一ヶ月後完成した装具が患者さんの膝に着けられた。
歩けた!
患者さんも御主人も佐喜眞さんも皆笑い喜んだ佐喜眞さんが開発した。
CBブレース 反張膝を矯正する装具
膝の裏側に細い金具センターブリッジというものでこの金具を一本取り付ける事で支柱のグラツキをなくすることに成功。
固定する力が格段と上がった更にベルトの部分のの金属も必要なくなり軽量化にも成功した。
この技術を応用し変形性膝関節症の装具も開発。
変形性膝関節症 膝関節のクッションの役割を果たす軟骨のすり減りや筋力の低下が原因で膝に痛みが生じる病気
階段も簡単にあがれる。
装着することで自分の足で歩く患者が続出した。
開発から6年後ものづくり日本大賞を受賞。
それから同じ原理を使って肘用の装具も開発。
当時、肘に不安を感じていたプロ野球ヤクルトの稲葉篤紀選手に提供。復活に一役かったのだ。
患者さんが泣いて喜ぶ姿を見たらこっちも貰い泣きする一緒にとヤス子さん嬉しい、最高ですよ。
お父さんの100万ドルの笑顔が目に浮かんで・・・常に相手に寄り添う。
とことん付き合うそんな彼の情熱が今、世界中の人達に歩く喜びと笑顔を与えている。
佐喜眞さんは奥さんとの出会いで人生が大きく変わり身体のコンプレックスから解放された喜びを一人でも多くの障害を持っている人達に喜びと笑顔を与えたく頑張っている姿が素晴らしいですね。