2017年11月01日(水)読売テレビ放送tenで「若一調査隊!靭本町や立売堀…大阪の地名の歴史と謎を徹底調査」が特集されていました。
立売堀・靭本町は、私が住んでいる場所の近くです。
歴史とか謎なんて知らないので凄く関心を持って観てしまいました。
大阪の地名の由来 真田丸に隠された謎
大阪市天王寺区には「真田山町」があります。
真田幸村
大阪夏の陣で徳川家康の本陣まで攻め込んだ豊臣方の武将で「日本一の兵」と評された
真田丸は真田山町付近に存在!
それが地名の由来になっているらしい。
今まで場所の特定が進んでいなかったそうですが、最近の研究で場所が確定して、立派な碑も出来ています。
大阪の地名の由来 西区 靭本町
大阪市西区靭本町は、初めての方はなかなか読めないと思います。
なぜ靭(うつぼ)という地名になったのか?
秀吉が大阪城を築きましてその後この辺りが城下町になったので沢山の家来を連れて市中巡察でこの辺を歩いていた昔この辺では魚の行商人がいて安い!安い!よって言って売っていた耳にした秀吉は「やす」とは「うつぼ」のことじゃな!
靭(うつぼ)=矢巣(やす) 矢を入れて肩や腰に掛け携帯する道具
靭の地名は秀吉のダジャレから生まれた!?
大阪城の天守閣にはこの「うつぼ」が矢を入れた状態で、貯蔵されています。
どうして、このダジャレが地名になるほどのものなのか??よくわかりませんでした(汗)
大阪の地名の由来 西区 立売堀
「立売堀」
こちらに引っ越して来る時、最初なんて読むか分かりませんでした。
たてうりぼり?たちうり・・・
「いたちぼり」と読みます。難しい。
なぜ立・売・堀の文字がつかわれているのか?
戦国武将独眼竜政宗と関係は立売堀1丁目バス停付近にある!
立売堀川跡の石碑があります。ここに川があったそうです。
伊達政宗は大阪城を攻める時にここに陣を張り壕を掘った。
その後、壕は運河として転用され「だてぼり」と呼ばれたそうです。
伊達は(いたち)という。
その後この周辺に材木を商う露天商が増えてきた(露天商のことを立売りといっていた)
「いたちぼり」という呼び方はそのままで立売という文字だけが書きかえられたそうです。
さいごに
土地の名前は歴史上の人物とのかかわりが深いことがわかりました。
大阪城の周辺には戦国時代の武将たちの傷跡がたくさんあります。
今は平和な時代ですが同じ場所で先人たちは戦いをしていたんですね。
目をつむり戦国時代の事を思い浮かべ、この地で武将たちが陣をとっていたんだなと思いふけます。
今の平和な日本に生まれてよかったなとしみじみと思わせられます。