鳥取県倉吉市に娘と孫と3人で里帰りの途中、鳥取城跡に行ってきました。
鳥取城跡は、鳥取県鳥取市に築かれた国の史跡に指定されていて別名久松山城と言われています。
戦国時代から江戸末期にかけて城はあった城主は 山名氏・吉川氏・宮部氏・池田氏と変わっている明治4年に廃城となります。
石垣、堀、井戸などが遺構とされています。
城主 吉川経家の時代に信長方の羽柴秀吉が中国地方の攻略を担当し2度目の鳥取城攻めをした。これが有名な兵糧攻め。
4ヶ月も経つと餓死者が出始め、城主の経家はこの凄惨たる状況に開城。
安土桃山時代、秀吉の与力となっていた宮部継潤が鳥取城主となります。
関ケ原の戦いで宮部家は西軍につくが西軍は負け東軍に城は攻められ開城。
江戸時代になると池田長吉が6万石で入城し池田氏によって近世城郭に改修されました。
(元和3年)池田光政が因幡・伯耆32万5000石で入城する鳥取城も大名に相応しい規模に拡張されたその後、備前岡山藩主 池田忠雄の長男 池田光仲(従兄)が鳥取城主となります。
光仲公は徳川家康の実の曾孫にあたります。
仁風閣は鳥取城跡に建てられた国の重要文化財で明治40年第14代当主池田仲博侯爵の別邸で1907年当時の皇太子(大正天皇)が宿泊されました。
現在館内では鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されています。
また仁風閣の前には博物館もあり、この日この博物館を楽しみに鳥取城跡に来たのに仁風閣と博物館は定休日でした。
定休日月曜日。
ガッカリ…。
外の景色だけを楽しむことに。
仁風閣の建築はルネッサンス風で門の外からみても素敵でした。
お城跡には入れるので唯一の城門中仕切り門を入り階段を上ります。
この階段今まで色々なお城の階段を上がりましたが、鳥取城の階段は高いです。
孫もいたので途中で引き返す事にしました。
今度来たときにチャレンジしよう。
トイレが江戸時代の様な建物で鳥取城跡にはピッタリでした。
こういう所が他とは違うだけで楽しくなります。