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最愛の人との別れに涙が止まらない「ただ一人、『おい』と呼べる君へ~城山三郎 亡き妻への遺稿~」

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2017年9月26日(火)BS103で放送されていた、プレミアムカフェ選「ただ一人、『おい』と呼べる君へ~城山三郎 亡き妻への遺稿~」を観てめちゃくちゃ泣いてしまいました。

 

作家 城山三郎先生が亡くなられたのは2007年(享年79)。

奥様の容子さんとの出会いから癌での死別。そして、城山さんが亡くなるまでのドキュメンタリーです。

 

奥様(容子)さんとの出会いは終戦から6年あと。

図書館が休館日のおかげで運命的な出会いをする。

 

大学生だった城山さんは、容子さんを見るや『天から妖精が降りてきたと感じ』と一目惚れしてしまったそうです。

この時代はまだ男女の交際がうるさく、容子さんの親から付き合う事を反対されて別れてしまいます。

 

そして、1年以上経ってからダンスホールでのまたしても運命的な再会。

結婚そして男の子と女の子に恵まれる。

 

この夫婦は二人三脚で生きてきた。

 

 

4つ年下の妻が自分よりも先に死ぬとは思ってもいなかった城山さん。

容子さんが亡くなった時(享年68歳)。

 

 

妻の死を認めたくない城山さんは、葬式はしないと言い張る。

なんとか次女の説得で葬式は行われた。

 

何十年も夫婦として生活してきたんだからお互いの良いところも、悪いところもある。

しかし良い思い出しか思い浮かばない。

 

神経質な城山さんと物事に動じない容子さん。

二人の関係は出会いから別れまで少年と少女のように純真で母と子のように愛し思いあっていた。

 

 

先に逝く者よりも残された者の方がどんなに辛いものか。

これからどうやって生きていくのか分からない。

失意のどん底の中で生きていく。

愛する人との別れがこんなにも辛く寂しい。

 

城山さんは、妻との沢山の思い出のある家には帰らず本を書くための事務所で生活するようになった。

容子さんと生活した家に帰るのは辛かったのでしょう。

 

今までは実在をモデルにした本を書いていたが、それからは妻との思い出の本を書くようになった。

容子さんの事を書いているときだけが容子さんと一緒にいられたんじゃないかと思います。

 

 

城山さんは、容子さんが亡くなって7年後に亡くなられました。

幸せそうな死に顔だったそうです。

もしかしたら 容子さんが傍にいらっしゃたのかもしれませんね。

 

生涯お互いをいたわり愛しあったご夫婦のお話でした。

 

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このドキュメンタリーを観て

 

人は誰でもいつかは死が訪れる。

わかってはいるけれど、大切な人の死はやはりなかなか受け止めることは難しい。

それが、生涯をともに歩いてきた最愛の人ならなおさら。

 

誰にも何にも癒やすことができない深い悲しみが想像だけなのに胸にどっしりと残りました。

 

そうか、もう君はいないのか

 

作家・城山三郎先生が、亡き妻・容子さんの事を綴ったエッセイ。

タイトルだけで、作者の喪失感が痛いほど伝わってきます。

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